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いつかのためのリスクコミュニケーション

SciBaco フェロー 奥本素子


ゴールデンウイークの旅行にも、じわりじわりと影響をもたらしているホルムズ海峡の封鎖。複数の航空会社が5月から飛行機の燃料代を燃油サーチャージとして値上げしました。今のところ大きな混乱が起きてはいないものの、状態が長期化すると石油危機のような状態に陥るかもしれません。まだ問題が深刻化していないけど表面化している、そのような状態で行われるのがリスクコミュニケーションです。



リスクコミュニケーションとは?

リスクコミュニケーションとは、リスクにサイエンスコミュニケーションです。危機が高まっていたり、有事や災害のリスクがある際に行う備えるためのサイエンスコミュニケーションです。ただリスクコミュニケーションの取り扱うリスクには種類があります。


科学的確実性による分類


種類分けでよく持ち出されるのが、スターリング1)が整理した図です。ここではリスクに対する科学的知見がどれだけそろっているのかという軸です。発生確率に対するデータもあり、さらにどのような結果がもたらされるのかも明らかな場合に限ってのみ「リスク」と分類されます。例えを上げると一度に高線量の放射線を浴びるとガンのリスクが高まることが明らかになっています。高線量に基準があり、なおかつガンの発生が増えるという結果にも因果関係があるので、これは確率も結果も明確な「リスク」です。


図1 リスクの分類(スターリングの図を基に作図)


一方、低線量の放射線の場合は、ガンの発生確率が不明確です。長期にわたる低線量の被ばくがもたらす影響は、生活習慣や遺伝的要因など他の要因の影響の方が強く、低線量の被ばくがもたらすガンの発生確率を独立して測定できません。このように結果の発生確率が不確かな場合を「不確実性」と言います。


また結果はあるがそれがもたらす影響が曖昧な場合は「曖昧性」というカテゴリーに分類されます。地球温暖化によって何らかの影響がもたらされることは確実ですが、温度が上がると気象も変化し、環境も変化し、それらの関係が複雑に呼応し合い結果をもたらします。そのためどのような結果がもたらされるのかを正確に予測することは難しいです。なおスターリングの論文では「Ambiguous」という表現が使われており、多義性と訳される場合も多いですが、因果関係がはっきりしないという意味で曖昧性と訳しました。


最後に発生確率もその結果についても不確かな場合は、科学的には「無知」に分類されます。夢のエネルギーと言われている核融合発電では、低線量の放射性物質であるトリチウムが多く輩出されますが、それをどの程度閉じ込められるのか、そしてどの程度の確率で環境に排出され、それがどのような悪影響をもたらすのかは無知な段階です。無知な段階では、科学的知見だけでなく、社会の様々な意見を聞いて、リスクをコントロールするガイドラインを決める必要があります。


サイエンスコミュニケーションではこのリスクの分類に基づいて、科学的情報の発信やガイドラインの作成について検討していく必要があります。ただこの図で発生確率の不確かさや結果に関する知識の不確かさもグラデーションで表現されているように、専門家にとっては確実なリスクも、見方によっては不確実な場合もあり、どのカテゴリーのリスクなのかの判断も分かれる場合があります。


時間軸で変わる対策


科学的確実性だけでなくリスクコミュニケーションには時間的な軸もあると考えられます。対策に関する視点を考える際にこの時間軸が重要になります。


まずある行動をとるとリスクが減らせる、わかりやすいリスクがあります。外から帰ったら手を洗う、狂犬病予防のために愛犬に予防接種を受けさせる、など因果関係が明確で、対策も取りやすいリスクを短期的リスクと呼びましょう。


一方、中期的リスクには、新型コロナウイルス感染症拡大時に外出を控えるや今回の石油製品の不足のように、突発的な事態が起こった際に検討しなければならないリスクです。このリスク自体がどれだけ継続するかによって対策が変化するリスクです。思い切って生活様式を変えたほうがいいのか、それとも問題が終息するまでの一時的な対策でしのぐのかは、専門家によっても、個々人によっても判断が分かれます。


例えばクマ問題。これまでだったら山の奥深くに行かないなど短期的な対策でしのいでいたリスクが長期化し、範囲も拡大することで、対策の変更を変えざる得ない状況なのかどうかを判断しなければいけません。


中期的リスクの場合、専門家には問題が続く期間、範囲について質問が寄せられます。ただその回答には絶対の正解はありません。あくまでもこれまでの知見に基づいた予測になります。そしてその予測も状況によって変化します。1ヶ月程度の対策と複数年にわたる対策では、その影響の範囲や対策をとる側の負担も変わってきます。この予測が外れると、専門家の見立ての甘さや逆にリスクの過大評価などが批判されますが、そもそも正確に予測することは不可能です。そのため科学的知見だけでなく多角的観点から予測する、複数のプランを検討するといった選択肢があるリスクコミュニケーションに切り替えていく必要があります。


そして最後に長期的リスクです。何十年スパンで考えていかなければならないリスクの一番の課題は、現在の対策の効果を実感できないということです。私たちは目の前のことを優先し、少し遠い未来のことをおろそかにするという認知バイアスを持っています。現状バイアス(Present Bias)とも呼ばれるこのバイアスは、行動の先延ばしにつながります。その結果、環境問題より経済維持を優先させる、将来投資よりも現状のための予算配分なるといった事態が起きます。そしてリスクが結果として顕在化したときには、対策は後手に回るという悪循環を生んでしまいます。


人間を長期の活動に従事させるためには、科学的知見よりも人間の動機づけ研究の知見のほうが効果的かもしれません。動機づけ研究の理論のひとつに、期待×価値論というものがあります2)。期待×価値論とは、実行することで成功を導き出せるという認知と、その結果何が変わるのかという結果の価値の積によって動機付けが高まるという理論です。


大きすぎる目標の場合、自分にできないだろうとやる前から諦めてしまう場合があります。人は行動できるという自信がなければ行動しません。これを効力期待と言います。また行動したことに結果が伴う期待が結果期待です。自分一人ぐらいが行動を変えても変わらないというと思うってしまうことが、結果期待が薄い状態です。

また価値には個人的な達成感や興味のほかに、実用価値、そしてコストという複数の価値の総和であることが言われています。実用価値を実感しても、それ以上にコストがかかるとなると、こちらは価値の部分が少なくなってしまいます。




長期リスクのサイエンスコミュニケーションでは、個々人が取り組む対策としては、行動しやすい活動(期待)を特定し、なおかつそこへのモチベーションを高めるためコスト(価値)を上回る価値を設定した上で、長期リスクへの対策を考える必要があります。


リスクコミュニケーション貯金


リスクコミュニケーションはサイエンスコミュニケーションの中でも難しいコミュニケーションになります。


これまで述べてきた科学的知見の精度、時間軸による対策の違いに加え、リスクが高まると迅速な意思決定の必要性といった時間切迫が生まれること、科学的知見が整っていないため専門家は研究活動に従事しなければならず発信活動に人手が回らなくなること、情報ニーズの高まりと共にあまりサイエンスコミュニケーションに参加してこなかった層にも発信する必要があることなどがあげられます。


先日、同志社大学のサイエンスコミュニケーションチームがマスコミや専門家にインタビューをした「コロナ禍、誰が何を伝えたか」が出版されました3)。そこには有事の際のサイエンスコミュニケーションの苦労がつづられています。そして有事の際には、科学情報を扱うマスコミであっても、普段から専門的な知見を持つ専門家であっても、そしてサイエンスコミュニケーションを知っている専門家でも、正解のコミュニケーションを行うのは難しいことが語られています。わかりやすく伝えると誤解を生み、ある面を強調すると他の面がおろそかになります。専門家がどこまで意思決定に参与するのかも、有事の際には上手に区分することはできません。


そのため、平時から専門家同士をつないだり、気軽なサイエンスコミュニケーションの場を増やしたり、専門家の役割の区分を話し合うことが必要です。普通のサイエンスコミュニケーションが続くことが、リスクコミュニケーションの貯金を殖やしていると捉えたほうがいいのかもしれません。



連休明けにわざわざ重めのテーマ、誰得?という内容のこのSciBacoノートも、いつかのためにつながればいいなと思います。



参考文献


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