今回は、私の学生時代の研究とも多少関わる南極パラドックスについて紹介します。
南極海では、植物プランクトンの生育に重要な栄養塩が海水中に高濃度で含まれているのですが、植物プランクトンの量は何故か少ないという矛盾した状況があり、これを南極パラドックスと呼んでいます。栄養塩が豊富なのに植物プランクトンの量が少ない海域は、HNLC(High Nutrient Low Chlorophyll)海域と呼ばれ、世界では南極海の他にも、北太平洋亜寒帯域や東部太平洋赤道域などがあります。
この矛盾に対して、1980年代に米国の海洋学者ジョン・H・マーティンが提唱したのが鉄仮説で、植物プランクトンの生育に必須である鉄の溶存量が少ないことが植物プランクトンが増えない原因であるとするものです。というのは、海水への鉄の供給は、主に川が大陸を浸食することによると考えられるのに対し、南極海では南極大陸が雪氷に覆われているため、海水への鉄の供給が殆ど起こらないと考えられるからです。マーティンらは、鉄仮説を検証するために、海水中の鉄濃度を測定するだけで無く、HNLC海域で鉄の散布実験を行い、植物プランクトンが増加することを確認しました。マーティンは「私にタンカー半分の鉄をくれれば、皆さんを氷河期に連れて行こう。(Give me a half tanker of iron, and I will give you an Ice Age.)」という発言でも有名です。
とは言え、鉄散布の影響は不確定な要素も多く、地球温暖化の解決策として飛びつくのは危険です。マーティン自身も、温室効果ガスを規制する他のすべての取り組みが失敗した場合にのみ、鉄散布が解決策になりうると考えており、自分の研究が誤用されることを心配していました。もし、鉄散布を実施するにしても、小さなスケールで試験し、その影響を慎重に見極めながら行う必要があるでしょう。
話は変わりますが、日本の南極研究を国立極地研究所と共に支援している団体に日本極地研究振興会があり、創立60周年記念事業として、昨年末から会誌「極地」のバックナンバーの一部がwebページ上で無料公開されています。そこで気になったのが、第3号(第2巻第1号、1966年)にあった「北極を暖かくする法」という記事です。ソ連の北極温暖化構想として、気候を調節する方法が幾つか提案されています。地球温暖化が深刻な問題として認識され始めたのが1970年代とされているとはいえ、生物や生態系への影響については、ほぼ言及されておらず、現代の我々から見ると、目を疑ってしまいます。
さすがに、現在であれば、ここまで思慮の浅い議論をすることは無いでしょうが、一方で、現在行われている議論も、数十年後に、同じような批判をされてしまう可能性は拭えません。新たな知見の出現に対しては対処しようが無いですが、自分の専門分野の人だけでなく、他の専門分野の人とも交流し、様々な可能性を想定することで、未来の人に胸を張れるような議論をしなければならないと思わせられました。
コメント