top of page

バタフライ効果を可視化するために

予測不能な未来を読み解く


バタフライ効果とは、気象学者エドワード・ローレンツの講演タイトル「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を引き起こすか?」に由来すると言われています。



 バタフライ効果は気象学の研究から生まれた言葉ですが、文学作品や映画、テレビ番組でも重要なモチーフとして取り上げられています。そのため、「風が吹けば桶屋が儲かる」や「クレオパトラの鼻が…」といった古くからのことわざや比喩を思い出す人も多いでしょう。

 「些細な行動が未来に大きな影響を与える」という比喩として、バタフライ効果が用いられることは多く、研究の現場でもその実感を得ることがあります。



量子技術分野で見られたバタフライ効果


 大学院生だった頃、今から20年以上前のことですが、同じキャンパス内で量子技術を研究している院生のセミナーに参加する機会がありました。そのとき、SF小説以外で初めて「テレポーテーション」という言葉を聞きました。SFにおけるテレポーテーションは瞬間移動という超能力ですが、セミナーで話されていたのは量子テレポーテーションでした。

セミナーの内容は初めて聞くことばかりで、「量子もつれって何?」という状態でした。2つの量子が「量子もつれ」の状態になると、たとえ空間的に離れていても、一方を測定した瞬間にもう一方の状態が確定するという性質があります。この性質を利用し、物理的な距離を越えて情報を転送する仕組みを「量子テレポーテーション」と呼ぶのだそうです。量子というミクロなレベルでモノの動きを捉える研究分野があるのだと知り、ただただ驚いた記憶があります。


それから20年以上経ち、今や量子コンピュータ、量子暗号通信、量子センシングといった技術開発の話題を日常的に耳にするようになり、2030年代には実用化が見込まれているとも言われています。

 特に量子コンピュータは、現在広く使われている古典コンピュータと比べて桁違いのスピードで特定の計算が可能なため、さまざまな分野での応用が期待されています。たとえば、製薬の分野では、薬の成分となる分子の動きを短時間でシミュレーションすることで創薬の効率化が図れます。また、物流や運輸業では、配送ルートの最適化、倉庫管理や在庫の効率化、交通システムの改善などによって、無駄なエネルギー消費の削減にもつながると考えられています。このように、量子技術は社会に大きな影響を与える段階にまで発展しています。

 私が量子テレポーテーションの概念を知った当時、すでに研究は実用化に向けて進められていました。ですから、そのときには、こうした未来を予測していた人もいたかもしれません。しかし、最小単位のエネルギーのかたまりに「量子」という名前を与え、その振る舞いを数式で表すことができたばかりの20世紀初頭の研究者たちが、これほどの社会的影響を想像していたかどうかは疑問です。

 基礎研究が予想外の社会的影響をもたらすバタフライ効果の事例として、量子技術は非常に象徴的だと思います。


科学と社会の交差点


 「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を引き起こすか?」という問いを投げかけたエドワード・ローレンツは、大気の状態が非常に複雑である以上、長期的な天気予測は本質的に困難だと指摘しています。しかし、短期的な予測はある程度可能であり、最新の技術や研究成果を活用することで「最善の予測」は可能であることを多くの人に伝えようとしていました。

 この視点に立つと、ある研究が社会にどのような影響を及ぼすかを短期的な視点だけで評価するのは適切ではないと考えられます。近年、「社会的インパクト評価(Social Impact Assessment)」が注目されるようになっています。「社会的インパクト評価とは、研究やプロジェクトが社会や環境に与える影響を多角的に捉え、定量・定性的に評価する方法です。」


 たとえば、量子技術の発展には、数多くの地道な研究の積み重ねがあったことは言うまでもありません。それらが正当に評価されず、途中で中断されていたとしたら、今日のような技術革新は実現しなかったかもしれません。また、どのような技術にも功罪があります。メリットだけでなく、デメリットにも目を向けていく必要があります。そのため、従来のようなプロジェクトの成果の評価、プロジェクトの結果そのものだけでなく、それが社会や環境にどのような影響を与えるかが重要視されるようになっています。そのことを踏まえた評価の一つが、社会的インパクト評価になります。




サイエンスコミュニケーションの役割


 社会的インパクトを評価する場合、「因果関係の可視化」が重要な要素となっています。因果関係を明らかにするには、定量的なデータだけでなく、関係者へのインタビューといった定性的調査も必要です。

 量子技術の例を挙げるまでもなく、科学的な概念は本質的に複雑で、専門用語や技術的な内容は、専門家でない人には理解しにくいことが通常です。そういった分野において因果関係を解きほぐしていくためには、サイエンスコミュニケーションのスキルが重要だと私たちは考えています。

 集めた情報を丁寧につなぎ合わせて社会や環境への影響を分析し、その結果を提示すること、バタフライ効果を可視化することで、関係者自身の理解を深めることができれば、より望ましい未来を築く道筋が見えてくるのではないでしょうか。

 地球の未来を考える場合、量子技術に限らず、基礎研究が社会に及ぼす影響を長期的かつ多角的に評価する姿勢が求められています。今後も、科学と社会をつなぐコミュニケーションと評価のあり方を継続的に見直していきたいと考えています。



Commentaires


bottom of page